西暦 |
年号 |
月 |
出来事 |
1164 |
長寛2 |
|
畠山重忠、武蔵国男衾、畠山館で生まれる。 |
|
|
|
母は三浦義明の娘。幼名を氏王丸という。 |
1180 |
治承4 |
8 |
重忠、河越重頼、江戸重長らと衣笠城に三浦氏を攻める。 |
|
|
10 |
重忠、河越重頼、江戸重長らと頼朝と参会。これに従う。 |
|
|
|
頼朝、平氏討伐のため鎌倉を発つ。重忠先陣をつとめる。 |
1184 |
寿永3 |
1 |
宇治川の戦。重忠、丹党以下五〇〇騎で川を渡る。 |
|
(元暦元) |
2 |
鵯越に馬を背負いて下る。『源平盛衰記』 |
1186 |
文治2 |
4 |
静御前、鶴岡八幡宮で舞を舞う。 |
|
|
|
重忠、銅拍子を打つ。 |
1189 |
文治5 |
7 |
奥州討伐軍発進。重忠先陣。 |
|
|
8 |
重忠、伊達郡阿津賀志山前の堀を用意の鋤鍬で埋める。阿津賀志山の合戦。 |
1190 |
建久元 |
10 |
重忠、上洛の先陣を命ぜられる。 |
1192 |
建久3 |
9 |
重忠、二階堂前の池に巨石を立てる。 |
1193 |
建久4 |
2 |
武蔵国の丹党と児玉党とが相争う。幕府、重忠に命じて調停させる。 |
1195 |
建久6 |
2 |
重忠、源頼朝上洛の供奉人を命じられる。先陣をつとめる。 |
1205 |
元久2 |
6 |
北条時政、畠山重保を由比ケ浜で殺害し、また北条義時を二俣川へ派遣して、畠山重忠主従を討伐させる。 |