西暦 |
年号 |
月 |
出来事 |
1153 |
仁平3 |
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源義賢が川越重隆の養君となって大蔵館に移り住む。 |
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義仲(駒王丸)生まれる。 |
1155 |
久寿2 |
8 |
義仲の父義賢、武蔵国比企郡大蔵館で甥の源義平に討たれる。義仲(駒王丸)木曽に逃れ中原兼遠に養育される。 |
1156 |
保元元 |
7 |
保元の乱始まる。 |
1159 |
平治元 |
12 |
平治の乱始まる。 |
1160 |
永暦元 |
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源義朝殺され、頼朝伊豆に流される。 |
1166 |
仁安元 |
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駒王丸元服。木曽次郎義仲と名乗る。 |
1180 |
治承4 |
4 |
源頼政、以仁王から平家追討の令旨を得て、諸国の源氏に伝える。 |
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5 |
以仁王、源頼政、義仲の兄仲家ら敗死。 |
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8 |
源頼朝伊豆にて挙兵。 |
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9 |
木曽義仲挙兵。 |
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10 |
義仲、上野国に入り12月信濃に戻る。 |
1181 |
養和元 |
6 |
平家方の城氏越後より信濃へ攻め入る。義仲これを横田河原(長野市)に迎え撃って大勝する。 |
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8 |
義仲追討のため平経正、通盛軍北陸道へ進発する。 |
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9 |
平家軍、義仲の軍と越前水津に戦い、敗退して京都へ退く。 |
1182 |
寿永元 |
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この年凶作。義仲、頼朝、平氏の三勢力対峙する。 |
1183 |
寿永二 |
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義仲、頼朝と不和となり、義仲、長子義高を人質として送り和解する。 |
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5 |
義仲、兵を進めて越中般若野に平家軍を破る。 |
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越中砺波山の東に陣をとり、夜に入って平維盛の大軍を大いに破る。(『玉葉』ほか) |
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6 |
さらに平家軍を追って加賀篠原に破る。義仲の武将手塚光盛、斉藤実盛を討つ。 |
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義仲、越前の国府に入り覚明に延暦寺へ牒状を書かせ僧徒を誘う。延暦寺、義仲の求めに応ずる。 |
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7 |
義仲、京都に迫る。平家、安徳天皇を奉じ京都を逃れる。 |
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義仲・行家、京都へ入り後白河法皇に拝謁。平家追討の院宣を受ける。 |
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8 |
義仲従五位下左馬頭兼越後守に、行家は従五位下備後守に任ぜらる。朝日将軍の称号を賜わる。 |
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義仲、伊予守に任じられる。 |
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9 |
義仲、平氏追討のため播磨へ向う。 |
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10 |
義仲軍、備中水島の戦いで平家軍に敗れる。 |
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11 |
義仲、法住寺殿を攻め法皇の近臣らを解官する。 |
1184 |
寿永3 |
1 |
義仲、後白河法皇より征夷大将軍に任じられる。 |
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(元暦元) |
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源範頼・義経の軍、勢多・宇治で義仲軍を破り京都へ入る。 |
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義仲、近江の粟津に戦死する。今井兼平も自害する。 |
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4 |
義仲の長子義高、鎌倉を脱出するが4月27日武蔵国入間河原で討たれる。(『吾妻鏡』) |
1185 |
文治元 |
5 |
源頼朝、木曽義仲の妹宮菊を鎌倉に召し、美濃国遠山庄内の一村をあてがい、信濃の御家人小諸太郎らに扶持させる。 |