(平城宮出土、奈良文化財研究所提供) 右から2番目の木簡には男衾郡川面郷から大贄として鮒の背割りが差し出されたことが記されています。贄とは、天皇家に納められた貢ぎ物です。全国から水産物や山の幸が貢進されました。鮒の背割りがどのようなものだったかはわかりません。保存食品としては既に鮨がありました。ご飯の間に魚肉をはさみ、乳酸発酵作用を利用して魚肉を長期保存したものでなれ鮨といいます。現在の琵琶湖畔の鮒鮨などに名残をとどめます。