(県立埋蔵文化財センター提供) 「畳二十五枚、絞薦八枚、立薦二枚、合わせて百二十枚」と記されている。数が合わないので、失われた部分に他の85枚分の記載があったものでしょう。延喜式によれば、武蔵国は蓆の貢進が義務づけられていました。編物石の出土から薦(こも)や蓆(むしろ)の生産が日常的に行われたことがうかがわれます。