(熊谷市教育委員会提供) 200m四方の寺域の中に、南門、中門、塔、金堂、講堂が配置される本格的な寺院です。男衾郡大領を勤めた壬生吉志にかかわる氏寺と推定されています。発掘調査によって8世紀前葉に創建され、9世紀前半に再建、10世紀末頃には廃絶したと考えられています。