(国立公文書館提供) 承和八年(841)、武蔵国男衾郡榎津郷に住む壬生吉志福正という人が息子二人の生涯納める調と庸という税をまとめて納めたいと申請し、許可されたという記事です。壬生吉志福正は別の文書により、男衾郡の大領を勤め、莫大な財力を持っていたことがわかっています。寺内廃寺(上写真)が壬生吉志の氏寺とすると、榎津郷は熊谷市の旧江南町周辺に存在した可能性が高くなります。