(図は、飛鳥資料館1987より作成) 天武天皇は686年に没し、翌年、墓が造られ、その翌年に葬儀が行なわれました。そして、703年に持統天皇がここに追葬されました。この古墳は平面が八角形をしています。7世紀後半以降に即位した大王(天皇)が採用した形です。このことは、大王の地位を豪族たちから超越した特別な存在として位置付けようとしたためと考えられています。