1909(明治42)年の「菅谷村勢要覧」には、アユ50貫(1貫は3.75キログラム)の漁獲記録が残されています。魚の体重を約30グラム(全長は15センチメートル程度)で換算すると、なんと約6,000尾のアユが漁獲されたことになります。
当時の代表的なアユ漁は、河川の上流に網を張り、重りのついた地びき網で下流から上流に向かってアユを追い上げ網でせまくかこみ、投網でアユを一網打尽にするアユ地びき網(がらびき)漁法です。大人数でおこない、捕れたアユを河原で塩焼きなどにして食べることが夏の風物詩でした。このほかに、やす突きやころがし釣りなど多くの漁法でアユが漁獲されていました。